みかずきのいえ

 
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ひとりごと オタクと現実の境界線

おはようございます、みかずきです。
女性にとっては逃れられない事象により、昨日から「かなり」体調がわるく寝不足です(゚´ω`゚)やれやれ…
今もだいぶつらいですがとりあえず会社に行くしかありません…ちょっと寝てたい…

私はオタクに市民権がない時代にオタク生活をしては足を洗ってを繰り返してきているので、根っからのオタクではありません。オタクのいい所も悪い所もわかっている上で、日常生活を送りながら趣味としてひっそりとオタク業を営んでいます、みたいなスタイルです。

なので、けっこうオタク業にはもともと私自身がそこそこ偏見をもっていて、7楽しくて肯定されるべき世界だけど3の悪もあるという意識があります。

あくまでも趣味嗜好の範囲かなと。

これでも二次創作は作っていたレベルではあるし、自前のブログなんてデイリー1000以上は普通に叩き出していた、頭のてっぺんまでどっぷり浸かりきっていたオタクではありますが、だからといって学び方や考え方がオタク的であることは素晴らしいとまで盲目な事をいうほど一辺倒ではない。

あくまでも学びのひとつとして、世界観の一つとしてそういう世界があってもいいとおもいますが、ここ10年くらいは特に顕著にオタクの世界が表に出過ぎてきているなぁと感じます。

もちろん、趣味嗜好として楽しむには映画音楽その他娯楽と並ぶか凌駕するレベルだと思います。でも、最近なんでもオタクの世界が神聖になりすぎている事には、疑問があるかな。

べつにオタクの世界が学力に影響を与えているとまでは言わない。きっと今の人は昔の人より優秀といえるのでしょう。
何をもってそういえるのか?という一見よさげな屁理屈も在りますが、生活や文化レベル時代の違うものの比較は難しいと思います。
ただ、いつの時代も未来を知る歴史を把握した今現在の最先端の位置にいる人間が圧倒的優位にいる事は事実で、その事そのものが比べようのない最たる理由ではないのかなと感じます。

しかし、なんだろう世界が決められたプログラムの中で遊ぶ癖がつき過ぎているのか、こう一辺倒というか何か情緒的部分で物足りない事が多くなってきました。
あまり隙間がないというか、疑問や行間がなく答えが決められた世界をなぞるように。
それを解消するのは「妄想の余地を残すために多く語らない」という手法の一辺倒でしかなかったり。
べつにすべて語ってくれても全然よくて、それでも膨らみ止められない妄想みたいなものを個人的には求めていたりするんだけど、あえて語らないモヤモヤを残す事が「妄想の余地を残しました( ・`ω・´)キリ」しかなかったりして。
もちろんこれも大事ですが、なんかこう…そうじゃないんだよなーという事が多く、昔の作品をみるとやはりこの辺りの溜飲を下げる事ができるものが多かったりします(特に洋画)


最近の作品では、まったく考察の余地のないリコリコが非常にスナック感覚で楽しかったです。
あの話はさほど考察の余地はなく、サクッとみるものではありましたが、軽くはなかったし、30分楽しんだー!という気持ちにさせられました。
でも、おわったあとにふと思い出したり、あーまたあの掛け合いみたいな、喫茶のみんなってこんな話してそう、なんて考えたりするものです。

そういう余韻。
リコリコの話そのものが軽いか重いかといったような、そういう物理的な尺で測れそうな意味ではないんだけど。

じゃあ、恋人に深みを求めるかとか、考察の余地のあるミステリアスさを求めるか、ハイスペックで思慮深いものをもとめるかといったらそうではなくて、そういう一面があればまたひとつ楽しいという要素はあっても、
本質的にはもっと楽しいや好きというものには、なにごとも心に入り込んでくる何か特別なものがあるわけで。

そこにいるだけで楽しい、そういう種類の良さは
形だけ取り繕ったオタクの世界感やアニメの世界とかじゃなくて、なんかこう、なんかなぁ。という。