みかずきのいえ

 
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ひとりごと 当たり前の幸せ

何回、何十回、何百回…
生きてきて何度も何度も言われてきた、今そこにある当たり前の幸せ。
日常のそれを失った人が常に叫び続けてきた、当たり前の幸せ。
どれほど言われても普段、どうしてもそれを意識する事がなかなか難しいですよね。

昨日お仕事をしていて、ふとそんな事をどっぷり考えてしまうものに触れ、まさかのまさかですが仕事中に泣いてしまいました…
この日たまたまですが午後からお休みをとっていたので、帰り道の山手線で顔を突っ伏して泣きましてね…

先輩に、
「これに触れて泣いてしまいました…
 先輩はお仕事してきて、これは泣くっていうものに触れたことあります?」
と質問したところ、最初は即答で「ない」…と答えていましたが、やはりと呆れ返っている私の顔を見て、ふーむといって
「一度だけ…」といってそれを教えてくれました。


人が魂揺さぶられたものを手に取ると、その人が見えてくる気がします。
私はどうしても「日常」に溶け込んだ当たり前の幸せや、形が失われていても過去の人の「思い」によって染み込まれている文化や風景にとんでもなく弱く泣いてしまいますが、
本人の思いや魂、情熱に心が動く人もとても多いですよね。
 先輩は後者なのかな、飄々としているように見えて、まじめで情熱的な人なんだなと感じました。


時折り、年に一度でも、三年に一度でもいいから、今ある幸せや大切な人の事、考えることは大切だと思います。
もちろん、自分が強く生きることはとても大切なことだし、パワーがいる事だけれど、私は自分の力だけで今生活出来ているわけではなくて。

もし、いなくなってしまったら。
震災のようなことがおきてしまったら。
二人の時がそこで止まってしまったら。

たまにでいいから、伝えられる事やおもいは、ときどき伝えていって、大事に大事に


…とかいているのですが電車の中でまた泣いてしまって書けなくなってきたのでここで筆を置きます