テキシコーテキシコーテキシコー♪
おはようございます、みかずきですv なんとプログラミングのおじかんも4限目に突入しました。
早い…( ゚Д゚)
テキシコーはすでに4話まで視聴済ですがじぶんの中の復習もかねて2話目の感想をあげておきます。
「まずは自分で想像してみてください」という問いかけのあったものは2度ほどみて、答えを見る前にかなり自分で考える事にしています。
この回は街灯の光センサーがライトとは必ず逆の方に設置されていることをふまえ、もしこのセンサーがライトの直下にあった場合
夜になったらどういう動きをするか、という実験でした。
最初はつけっぱなしになるかな?それとも一瞬ひかって真っ暗が続くかな?なんて思いましたが、( ゚д゚)ハッ!とプログラミング的思考の勉強だとおもい、丁寧に思考することにしました。
あたりが暗くなる→センサーが明るくする指令→明るくなる
明るくなる→センサーが消灯指令→暗くなる
繰り返し繰り返し…
こう私の中で分解してみました。
問題の時点でセンサーの伝達時間がわずかに0.5秒くらい?時間があったので
感度はこの思考の実験が目的なのでけっこう低いみたい。
感度が高かろうが悪かろうが『ゆっくりもしくは早く、点滅するに違いない』と思って答えの解説をみたら
大当たりでした(*´Д`)
多分、考えなさいって最初にいうものは、考えてみることが大事だと思うの。
最初に瞬間「こうじゃないかな」って思った時、きちんと分解して考えなかったから
「(分解しなくとも漠然と上記の青字のことは想像できて)なんか点滅っぽくなるだろうけど、多分永久だからつながって光っているように見えるもしくは消灯状態になる。もしかして最初はちらっと点滅するかもだけどね。目が感性の法則みたいになってつながるよタブン」
などと漠然と思うわけです。
多分だけど、これは私の「生きてきた経験」からモノを言っているだけで
プログラミング的思考の「思考」をしていないのだと思うの。最初に軽く想像して答えをみるっていうやり方は多分、この勉強をやっている意味がない。
分解してみて、はじめて気づくわけです。
あ・・これは『点滅以外ありえない』と。センサーの感度によってその点滅が早いか遅いかだけであって、『点滅する』という事実に絶対に違いはないと。(←当たってました)
例の目が慣れてきて常時点灯しているように見えるかもしれないとか、常時消灯しているように見えるかもしれないなどは
このプログラミング的思考においての学習とはまた別の問題、眼球の錯覚や光の屈折といった別の分野の別ジャンルの学問ですよね。
そんな要素をこの「思考の仕方」の勉強の中に、そもそも入れてくるわけがないのです。
日頃の自分の経験値ではなく、
分解をしてみて、小さく並べて、確固たる結論を導き出す。
他の日常の別学問になるような要素は排除してクリアに考える。
多分、こういう事なんだよね。
実際がどうっていうより、そこから導き出した答えだったら合ってても外れてても、
考え方を得たという時点で正解者なのではないかなぁと思いました。
(ちゃんと並べて考えたらそもそも外れようがないのですが。ゆえにこのお題だったのだと思う)
私仕事で効率人間ですから、プライベートやゲームで効率の行使は大嫌いです。
しかしこのプログラミング的思考においては「効率」という考え方も非常に大事で、それじゃぁ大事大事っていうけれど、「どうしてこの分野において大事なんだろう?」という事を考えたことがなかったのですね。
さっきの私みたいに、余計な別ジャンルの学問を投下すると、そのプログラムとして成り立たなくなってくるからです。
あくまでも「そう見える」ことはあるかもしれないけど、それはただ私の目が「そう見える」ことがあるだけで、実際の中は点滅しているのですよね。アニメーションもそうです。動いている「ように見えている」だけ。(2Dの世界の話)
余計な要素を入れると多分、プログラミングの根幹がおかしくなりバグが発生してしまうと思う。
だって、上から並べてその通りに行動するのがプログラミングだから。
★その通りにしか動かしようのないほど正確に組み立てないといけないのがプログラミングだから。
そう考えると、この学習や思考の訓練って、我々の生きてきた経験が物事の根拠や本質が見えなくなる「余計な障害」になっているのかなぁ、なんて考えました。
こうだろう、こうに違いない。考えずに経験からモノゴトを見てしまおうとする悪い癖みたいなものが、この思考を理解するにおいて余計な障害になっている、その障害を乗り越えて思考する力を養っている学問のような気がしてなりません。
意外と、まだ人生経験がない子供のうちからプログラミング的思考を養う事は、あらためていい事だと思いました。
いろいろ経験で覚えていく過程で素直に物事の本質を見極める力を養うわけです。なんとなく生きるわけではなく、
インプットとアウトプットを現実に体感しながら体が覚えていく過程で吸収していくって、本当はすごい事なんじゃないか。
私は中学生から英語が入ってきましたが、これも実はよかったと思っていて。(小学生はローマ字のお勉強でした)
日本語はなんとなく話しているだけの小学生時代を経て、中学生で(まだまだ日本語も完成されていないレベルの時代です)
ものごとには、古典じゃなくても「文法」が存在すると感じたのですね。
国語の未然・連用・終止・連体・仮定・命令みたいなものを、きけりつぬたりけむたし」など丸暗記するものではなく、英語の
私は言った 誰に 何を どこで
といった形になっているという事をあらためて分解して知った時の感動です。
日本語と違ってすごくわかりやすいと感動したものです。
こうして、本質を考える…というのは大切な事ですね。
私は物事の本質を見抜くことはそこまで不得手ではありませんが、効率的に考えることは少々苦手です。
お仕事の時しかそんなこと考えたくないって思っている時点で、そこまで幼少期から身についている事ではないのでしょう。
ゆえに、テキシコー番組の中で段取りの効率化をするであります!なダンドリオンコーナーは私の中では
凝り固まった頭を柔らかくする訓練のひとつとして、素直に見ています。1話以外の2も3も4話も全然効率化できていませんでした。1話だけは「ああすればいいのに・・」と思ったものですけれどねv
それだけだいぶカタイって事ですねぇ。
プログラミングについての記事はこちらにおまとめしています。