みかずきのいえ

 
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ひとりごと どうしても合わないという現実

社会人になって今まで、どうしても考え方が理解できず意思疎通そのものができない上司が

過去二人いた。

今この5年ほど、その上司の下で働いている。

(もう片方は、長く下で働きぬいたあと、定年退職された。私はよく頑張った。最後まで愚痴らずよく頑張った。)

 

私は社長でも開業者でもクリエイターでもなく、SEや職人、士号を持っている人のように

なにか専門職であるわけでもない。

お仕事の仕方を教えてさえもらえれば、いつかは誰にでもできる一般的なお仕事をしています。

その仕事の中での色の付け方・取り組み方っていうのは当然個性があるところですが。

 

そのいわゆる「従業員」の立場ですので基本的には合う上司合わない上司関係なく

会社に求められる事を時間内にこたえる・履行する・成果を出すといった事が

私の仕事の本分になります。 これは根底にわかっていなければいけない所だと思っている。

 

したがって、自分がどう思っているかというより

指示をする人・統括する人がどういった意思で組んでいるものなのか

どういうプロジェクトなのか何が求められてこの着地点はどこへ向かっているのか

それがとても重要で

働きやすいとか働き手である私たちがどう思っているかっていうような事は

本来「人権」的なものを度外視してしまうと、「関係のない」所にいることはたしかですね。

 

人の人権がありますからそんなわけにはいかない事で

会社という存在に守られてはいますが。

この相互関係が、「従業員」「会社員」の立場だと思っています。

 

 

さて、前置きが長くなりました。

 

 

そんなわけで、私は自分の「自立・自活・起業できるような能力はなし」「手に職はなし」という事で

その社会的弱さ非力さゆえに、自由を手放しそれと引き換えに会社に尽くす従業員を選んでいます。

会社に・上司に忖度もしますし、何かが違うと思っても、誰かを傷つけるような仕事の指示をされても

顔色ひとつかえず非情に履行する事もあれば、事前に根回しを行い、直接の打撃を緩和させることもあります。

 

基本的にこれまで、顔に出さず態度に出さず、言われたことは二つ返事でうけ

会社の為になるような事や会社全体の手間がはぶけるような事を発見したら企画し根回しし

可能な限り「上に逆らう事なく」会社の効率化にはげんできました。

 

20代は会社に指示されることをこなし、気づきがあれば上司に相談するという程度でよかった

30代は責任が伴った。人を指示し全体のバランスを調整しコントロールし続けてきた。

これまでも会社の小改革はこまめに行い、かなり業務改善を行ってきたと思うが

残念ながら評価されなかった。

 

毎年面談というものがあるが、今回はじめて私は「私」を出して面談にのぞんだ。

自分がどうしたいか、忖度などせず、上司の顔色など関係なく、

 

私が思う事

私が思う会社の未来

私が思う部署の今後の取り組み方

私が思ってきたコロナ禍での内容・反省・結果・改善点

 

あらゆることを話してみた。1時間もかかる面談となった

 

 

 

大変高揚した。このように人に対しリアルで直接強く意思表示をしたことが、

私は生まれていままでなかったのかもしれない。

それほど立て板に水のように、私は自制が聞かないほど話した。

 

個人的には終わった後、大変高揚していた。

そして大量に話したからこそ、かなりおちついて自分なりに物事を整理して考える事ができた。

言えなかったくやしさがないので、すっきりしているのである。

 

さて、結果なのだけれど 上司のリアクションというと

何一つ、理解してもらえなかった

 

のみならず、私に対し私のまわりの身近な社員をとても認めている、ここがすばらしいと話した上で

それでいて私(みかずき)はそれに達してはいないのだ

その提案はすべて却下する

・・といった内容がすべてだったわけだけれど、

そう、その理由をきいたとき、彼が私に感じた違和感と同じであっただろうと感じるほどに

私にとって彼の考え方のすべてが反対だったのだ。

 

私にとっては、私が思うすべてのことを逆にすれば彼の理想となる部下であるだろうなと

そう感じるほどに考え方、方向性が全然違った。

しかし、話す事はとても大事なことで それでも私はかなりすっきりした。

単純明快に実感したことがある。

 

どうしても相いれないという相手はいる。

それは違和感ではなく確信で、その人のためにこれまで忖度や嫌われないように言いなりになって

生きてきた膨大な時間と精神力の無駄に気づき、私はひどく晴れやかな気持ちになった。

 

これほどまでに合わない人間に、私がどう思われてもかまわない。

ここまでも考え方が違うのであれば、彼もまた私のすべてが評価に値しないだろうし

これを覆す事は、今の私には不可能だしあらゆる面でありえないという事。

 

 

あまりこういった上司に出会った事がなかった為、

話してみないとわからなかったけれど、直観というものはとても大事なのだなと感じた。

話していてばかばかしくなった私は、これまで抑えてきたものを正直に話した。

 

何かつかめるかも、頑張ろうと思っていましたが

このコロナ禍において私のこの3年作り上げてきたインフラの集大成を成功させた満足感と

その余韻で、会社にきたら何かまた別の気づきがあるかと思いこの面談に参加しましたが

 

申し訳ありませんが、今 完全に見失ってしまいました。

 

と上司にははっきりと告げた。

そういう事を面と向かっていうキャラではないのですが、ここまでコテンパンにされてしまうと

この人に仕事への情熱や成果を報告するものではないなという、

むしろはっきりとした方向性へと導かれた気がした。

 

この上司の下で仕事をすることは今後一生あるわけではない。

私は次の上司と出会った時(そう遠くない未来ということだけはわかっているけど)

私は今の仕事の成果をその人に託したい。

 

もしかしたら、私の後輩が私の上司になるかもしれない。

そうであるならばどれほど尽くしたいと思えるか、周りには幸せな事に

そういう尽くしたいと思えるメンバーが比較的多い。

 

私は考え方が違う下とは出会ったことがないけれど、へんな考え方だなとは思った。

出来の悪い子ほどかわいいともいうけど、

思えば定年間際・50代の人に、まして営業畑の人間と

私の環境も考え方も「合う訳がない」のだ

 

話せばわかってもらえるかも。 とか

分かってもらえない、評価してもらえない

 

というのは、自分の過大評価でありおごりであると思った

そういうのを素直に受け止める事ができるのも、「発言する」っていうことの大事さを

思い知った

 

何かお互い話していて感じるものが、拾えるものがあったのなら

少し吟味して考える事もあろうかと思うが

あまりにも考え方が飛躍して違う場合、これはもう目の前の人間を「何か動く生き物のようなもの」として

とらえる以外に何もない事を知る。

 

こわがって、近づかずこちらも偽り、忖度し、少し近づいては傷つけられ

そんな数年を送って来た毎日が、心が刻まれるような日々だった。

勇気を出して、相手と腹をわって話してみよう

 

実に無意味な事に、神経をすり減らしてきたのだなと気づくことだってある。

 

合わないものはどうしても合わないと知った。

そして、見えないものにおびえ、何年も神経をすり減らしたきた自分の心を救い上げて

いたわって、包んで、癒してあげたいと思った。

 

よく頑張ったとなぐさめてあげたいと思った

私ももう、いい年齢。人によっては私を慕いこの考え方を頼ってくれる人もいる。

定年前にはまた全然違う世界が見えているだろう。

その頃に、今の上司の言っている事がわかる日がくるのかもしれない。

 

でもそれは今ではないし、

今それに従うわけにもいかない。

だって、おかしいでしょう? 30代のわたしが思う全力が

50代の人に理解されないこと、ひとつやふたつあったって不思議じゃない。

まったく考え方の違う世代の人たちの顔色伺って

 

大事な「今の視点」を手放すわけにはいかない。

だってさ、それなら30代は会社にいらなくなる。50代だけ寄り合っていればいいって

そんな単純な話じゃないわけだから。

 

大事なことは、違いを認める事。違いを受け止める事。

あちらの意見はこれまで大事に受け止めてきた。

 

今度はこちらの考えも違うんだよという事を、普通に毅然と示していく時。